モノづくりはプレゼント

今回のリモート対談は、小、中、高の同級生で、私が通った保育園の園長先生のお孫さんにあたる川下和彦さんです。

一番近くに住んでいた同級生なのに、一度も同じクラスになったことがないのは何故でしょう。

株式会社quantum

執行役員 VP of Creative / Creative Director

川下 和彦 様

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了後、総合広告会社に入社。

マーケティング部門、PR部門を経て、ジャンルを超えた企画と実施を担当。

自動車、食品・飲料、IT、トイレタリーなど、幅広い領域で大手クライアント業務の制作責任者を務める。

2017年4月より新規事業を生み出す企業quantum(クオンタム)に参画。

2020年4月より現職。



(菊池)

早速ですが、お仕事の内容を教えてください。


(川下氏)

現在は企業や起業家とともに、新規事業やそれを運用するスタートアップを

輩出する会社に勤めています。

すべての行動原理は、世界を変えるインパクトある事業を創出するファウンダーを

輩出し続けることで、よく言われるのが、ファンドやインキュベーターと

どこが違うのかということですが、投資もしますし、事業開発にもコミットします。


スタジオって言っているのは、

quantum = Hollywood Model からきています。

ハリウッドの映画スタジオを原型としていて、映画をつくる際には、

タレントのマネージメントをしている人、脚本を書く人、監督、メイクのプロ、

CGのプロなどがいて、それらを束ねて一つの作品を作っていきます。

事業も同じで、戦略を考える人がいて、デザイナー、エンジニア、

お金のことを考える人などがいて、それらが集まって、

まず小さな事業を作り出して、大きくしていく。

そのために、多様な専門領域を持つメンバーで構成された集団となっています。


(菊池)

話せる範囲で結構なので、具体的な事例について教えてもらえますか。


(川下氏)

1つ例を紹介させていただくと、昔、眼鏡は視力矯正機器として

漢字で書いていましたが、今はカタカナで書くようになりましたよね。

車椅子も同様に、


車椅子(福祉機器)→ クルマイス(当たり前/ファッション)


もっと世の中で当たり前のものとして、カタカナになるような社会になれば良い

という思いから企業様と一緒に商品開発を始めました。

開発プロセスとしては、

問題発見に始まり、プロトタイプ開発から、市場導入、グロースまで携わります。


タクシーに乗ろうと思ったら、運転手さんは畳み方が分からない

駅の階段を下りる際に駅員さんが躊躇してしまうなど

車椅子を使うとどうしても移動が分断されるので、「分断ストレス」から解放するため、

単にユーザーさんが使いやすい車椅子ということだけでなく、

車椅子を使ったことがない人でも使いやすい車椅子を作る

という、これはハードウェア事業としての一例です。


ソフトをつくるということでいうと、芸能事務所の事例を紹介します。

従来のキャスティング業務は、

クライアント→広告代理店→プロダクション→キャスティング会社→芸能事務所→キャスト 

という流れで、タレントさんに話が行くまで時間もかかるしお金もかかる形でした。

そこでクライアントとキャストを直接結ぶマッチングサービスを

企業様と一緒に作りました。


(菊池)

プロジェクトに応じて必要なメンバーを選定するということで言うと、

仮に食品関連の話があれば、私の出番もあるかもしれないってことでよろしいでしょうか??


(川下氏)

全然ありですよ。

現在は、クリエイティブの仕事を担当しているので、プロジェクトのアイデアを出したり、

実際につくるもののクオリティを上げたりしています。

今のところ、食品に関する案件はないですが、その可能性は大いにありますね。


(菊池)

ターゲットや規模など異なる点はありますが、お仕事の内容的に結構共通点が

あるなと勝手に感じていますが、弊社は仕事の内容上、

新規顧客に飛び込み営業するというよりは、人伝で紹介を受けたり数珠繋がりで

顧客獲得したりすることが多く、そういう点では人と人でモノづくりしていく泥臭いやり方です。


(川下氏)

同じですよ(笑)

人と人で作り上げていくと言う形は全く同じです。

私は、出来上がったものを広告するということより、何もない所から新しい事業を生み出して、

それを大きくしていくということにチャレンジしたい、

より性に合っているんじゃないかと思っています。


(菊池)

そういうことで言うと、川下くんの幼少期を知る私としては、

忘れられないエピソードが沢山ありますね。

際どい話があったらカットしますので(笑)。


(川下氏)

大丈夫だと思いますが、、、よく憶えているね。


(菊池)

小学生のときに流行った「ビックリマンチョコ」、天使と悪魔、お守りの

3種類のシールがお菓子に入っているんだけど、

キラキラした天使シールをゲットするために、

ケース(箱)の何番目に天使が入っているかノートに統計を取っていました。


ファミコンの名作!?アドベンチャーゲームの「ポートピア連続殺人事件」では、

メモを記録したり、迷路?だったか地図だったか作図しながら、真犯人を探してました。

当時のゲームは、ドラクエ然り、クリアするのに根気が要りました。

今であれば、YouTubeで攻略法を探せば一発なんでしょうが、、、


何より驚いたことは、まだファミコンを持っている小学生が少ない頃に、

家にパソコンがありました。


(川下氏)

父親がカメラやパソコンとかが好きで、使い方はよく分かっていなかったけど、

機械をさわることが好きでした。ゲームとかエンターテイメントなど、

みんなが楽しい気持ちになることを作ってみたいと言う思いは当時からありましたね。


(菊池)

てっきり、お父さんがそういうお仕事されているのかと思っていました。


(川下氏)

モノづくりはプレゼントっていう感覚です。

おじいちゃんが保育園の園長で、母は保育士、父も学校の事務をしていたので

自分が会社員になるということに特殊な感じはありました。


でも会社というのは「社で会う」と書き、一つの場所に志を同じくした人が集まる、

一人で出来ないことをやるのが会社だと感じ、就職する際の志望動機は

「会社員になる」ということでした。

人と人、自分にないものを持っている人が集まって、

一人で出来ないような大きなことをやりたいと思います。


〜次回に続く〜